【ディープな姫路城】6月号「大工道具」
姫路市城郭研究室・工藤茂博さんによる、姫路城にまつわる知れば知るほど面白いお話を月1回で連載。
第2回目となる6月号では、「大工道具」について驚きのお話をお届けします。
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大工道具
姫路城昭和の大修理工事 (以下、大修理)では、建物の解体工事中にいろいろな発見がありました。例えば、天守台石垣の内部から羽柴秀吉が建てた天守の礎石や古い天守台石垣の一部が出土しました。江戸時代の文献には羽柴秀吉が姫路城に三重天守を築いたことが記されていますが、天守の規模はともかく、この発見で秀吉が天守を築いたことが裏付けられたのです。この発見は、とくに天守にかかわることなので、メディアでも採り上げられ、広く知られるようになりました。
《写真1》
もちろん大修理での発見は、衆目を集めるものばかりではありません。もっと地味な発見もありました。その一例が大工道具です (写真1)。建物が解体される過程で、屋根裏や長押裏など目につきにくい場所に大工道具が置かれているのが見つかりました。築城時の道具となれば話題性は十分あるのですが、埋蔵文化財のように地中にパッキングされて残存していたものではないので、製作年代はもとより、それが使用されてその場所に置かれた時期を特定することは困難です。ところが、大修理で見つかった大工道具のうち、台鉋については、加藤得二氏が池田輝政の築城時のものだと指摘しているのです (写真2)。
《写真2》
大工道具は、それぞれの大工が自分の好みや使い勝手を考慮して製作する、オリジナリティの高いものです。台鉋は部材の表面を削って平らにするための道具で、使っているうちに刃は摩耗し、台はすり減り、そして使えるまで使い倒します。つまり、消耗品なのです。そのため、儀式用のものを除けば現物が残ることはほとんどなく、形態から時代を判断することは難しいのです。
ところが、幸運にも大坂城跡の発掘調査で台鉋が出土したのです。それも天正末期 (1580~90年代)頃の地層から出土しているので、豊臣大坂城の築城期と重なる、戦国時代末期の台鉋が見つかったのです。これと姫路城の台鉋を比較すると、大きさや形状、そして2枚刃であることが似ていて、加藤得二氏の指摘を裏付ける可能性も出てきました。
その一方で大坂城と姫路城の台鉋では明らかに異なる部分もあるので、近似点だけに注目して、時代の近さを論じるには慎重でなくてはなりません。それでも、城郭の建築に使われた大工道具が残っていることは、道具が消耗品なだけに間違いなく貴重な例と言えるでしょう。
《写真3》
大修理で発見された台鉋などの大工道具は、その一部が兵庫県立歴史博物館の1階で展示されています (写真3)。1階は無料見学エリアなので、興味のある人はぜひ見学してください。