特集

Feature

【ディープな姫路城】特別編「動物園がなくなったとしたら-『作事曲輪』のこれから-」

  • 絵図と現況の重ね図

    絵図と現況の重ね図

姫路市城郭研究室・工藤茂博さんによる、姫路城にまつわる知れば知るほど面白いお話。
実は前回で連載は終了しましたが、好評につき特別編「動物園がなくなったとしたら-『作事曲輪』のこれから-」について驚きのお話をお届けします。

INDEX

1.

動物園がなくなったとしたら-「作事曲輪」のこれから-

姫路城大手門を入ると、右手に姫路市立動物園の入口が目に入ります。この市立動物園は、昭和26年 (1951)に開園しました。今年で74年となりますが、特別史跡地内にあるため獣舎などの園の施設を更新することが難しく、運営に大きな支障をきたす時代となりました。とくに、動物たちの自然な生態に即した展示が主流となった現代においては、アニマルウェルフェア (動物福祉)の視点での飼育環境が求められています。そんな時代的背景もあり、動物園は特別史跡姫路城跡の指定区域外へ移転する方針です。そこで、今回は園跡地の活用や整備について考えてみましょう。

 

ところで、平成13年 (2001)に匠の技継承者養成検討懇話会が「匠の技継承者養成手法への提言書」を堀川和洋市長に手渡したことがあります。この提言書では、動物園跡地の利用について、一つの案を示しています。今回はその案について紹介します。

 

 

《図1》絵図と現況の重ね図

 

 

まず、図1を見てください。これは姫路城主だった本多家家老の子孫が所蔵している「播州姫路城図」(以下、絵図)を、現在の都市図に重ねたものです。赤線が絵図に描写されている建物や土木構造物になります。図1で明らかなのは、当時の作事曲輪が動物園敷地にすっぽりと含まれていること、園内の内堀が作事曲輪を画する西側の堀に相当することです (写真1)。

 

 

《写真1》明治末頃の作事曲輪 (天守より)

 

 

作事曲輪とは、姫路城の修理等に関わる施設が集中していた区画です。絵図では曲輪内に「縄小屋」「板小屋」「材木小屋」「瓦小屋」「藁小屋」「釜屋」「絵図所」などが描かれていて、まさに作事 (建築のこと)のための空間でした。さらに、そこには「大工小屋」「左官小屋」もあったので、作事に関わる職人が作業していた場所であったことも容易に想像できます。

 

そこで懇話会では、これからも永久に続く姫路城の修理に不可欠な伝統技術をもつ職人 (姫路城に限らず、当然、歴史的建造物の修理に必要な職人でもある)の養成を、姫路城においてできるように要望をしました。その理由は、後継者が誇りと喜びを持ち、それがそのまま活かせるのが姫路城だから、といいます。つまり、職人の養成には仕事や実技が学べる現場が不可欠で、幸い姫路城は広大で、とくに漆喰壁についてはいつもどこかで修理が行われていて、現場に事欠くことが少ないということでもあります。そして、そうなった暁には、作事曲輪を復興し、そこに拠点を設ける案が提示されたのでした。

 

拠点となる施設としては、図2のような作事曲輪に存在した各小屋の配置を考慮した案が示されました。修理作業や養成事業が24時間365日続くわけではないので、それ以外、例えば週末には一般開放して、市民に親しまれる体験学習の場としても利用できるものを前提に案出されています。

 

 

《図2》 作事曲輪復興案 (平井聖氏・画)

 

 

もし、こうした施設ができ、養成の仕組みも軌道に乗ったとしたら、いわゆる「匠の技」を習得したい職人にとって、あるいはそうした職人を目指す志がある若者たちにとって、姫路城は憧憬の地になっていることでしょう。

 

もちろん、この案が絶対ということではありません。ほかに良案が出てくる可能性もありますし、そうであってほしいと思います。大事なのは、姫路城の価値がいっそう高まるような活用や整備が実現できることなのです。

 

 

 

 

 

【PR】バナー広告