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灘のけんか祭り

灘のけんか祭りとは?

灘のけんか祭りとは、姫路市白浜町の松原八幡神社で行われる、秋季例大祭の総称で、「灘祭り」「妻鹿のけんか祭り」とも呼ばれています。一の丸、二の丸、三の丸の、神が乗り移った3基の神輿をぶつけ合う神事によって、戦前から播磨を代表する祭りとして知られていました。

戦後はこの神輿行事のほか、激しく屋台が練り競う勇壮な屋台練りが人気を呼び、全国の数ある「けんか祭り」のなかでも最大級の祭りといわれ、国内はもとより海外にまでその名を知られるようになりました。

  • 祭礼日
    宵宮/10月14日  本宮/10月15日
  • 開催場所
    松原八幡神社、御旅所

祭礼地域

「灘のけんか祭り」の祭礼地域は、姫路市内の南東部海岸地帯のうち、現在の行政地名でいえば、東山(旧東山村)・八家(旧八家村)・木場(旧木場村)・白浜町(旧宇佐崎村・中村・松原)・飾磨区妻鹿(旧妻鹿)を合わせた地域で、一般に灘地域とか、灘地区と呼ばれています。

ここはかつて、松原八幡神社が石清水八幡宮の別宮として全盛を誇った頃の支配領域です。近世幕府時代は、播磨国飾東郡(のちに飾磨郡)に属する姫路藩領の村として明治初年に至りましたが、この頃の村の名が、東山、八家、木場、宇佐崎、中村、松原、妻鹿で、地元ではこれらの村を総称して「灘7村」とよびました。「灘のけんか祭り」では、今もこの当時の村を単位として祭礼行事を行っています。

歴史

松原八幡神社の例祭の歴史は古く、例祭の原点ともいわれている「放生会」は11世紀頃には始まっていたのではないかと思われます。「放生会」とは、宇佐八幡宮や石清水八幡宮の勅祭でも知られているように、捕らえられている生き物を解き放って自由にしてやる儀式です。生類保護、殺生禁断の仏教思想と結びついて、旧暦の8月15日に全国各地の八幡神社で盛んに行われるようになりました。松原神社の「放生会」は、石清水八幡宮より派生して行われたものと推測できます。

14世紀に入ると、8月15日に執行していた松原神社の「放生会」は祭礼日を旧暦の9月15日に改めています。この頃から「放生会」は近代江戸時代とほぼ同様の祭りの形式で行われるようになったと思われます。ただし、神事渡御の行列に氏子たちの自主的な出し物が随行する事が認められたのはそれより100年後、15世紀の中頃のことだといわれています。

現在のような祭礼儀式で「灘のけんか祭り」が行われるようになったのは、明治維新の神仏分離によるものと考えられ、それまで松原神社と一体の関係にあった八正寺が神社から完全に切り離された明治4〜5年頃のことだと思われます。この分離によって、「灘のけんかまつり」の祭礼執行権が八正寺の社僧から氏子たちの手に移り、これを機に氏子主体の現行祭礼様式に一変したことはまちがいないでしょう。

祭りの準備

「灘のけんか祭り」は、祭りが終わるとすぐに次の年の準備が始まる、などといわれていますが、それほどこのけんか祭りには長い準備期間が必要であるという意味です。大多数の氏子たちは、この祭りを楽しみに1年の仕事に精を出し、地元を離れている人は"この日だけは"と全国から故郷を目指して帰ってくるのです。

祭礼地区では10月は祭りの月とされ、この祭月に入ると、7年に一度回ってくる神輿練りの担当地区(練り番)の人によって、修理された神輿が松原八幡神社に飾られます。神社と各村の屋台蔵の前や出入り口に祭礼用の提灯が吊るされ、村としても各家庭においてもさまざまな準備に追われていきます。

各地区の屋台蔵前や公民館などで太鼓や獅子舞の練習が行われ、10日前後になると屋台練りの練習で、実際に屋台を担ぎ上げている姿も見ることができます。

宵宮

<出立ち・練り出し>

去年の祭りが終わったときから、誰もが指折り数えたこの日。10月14日、宵宮。祭りの初日は朝風呂をたてることから始まります。祭礼に参加する男達は朝風呂に浸って身を清め、祭装束に身を固めて家を出ます。これを出立ちといい、一家の主婦などが清めの塩をふりかけて、夫や子どもの安全を祈ります。各村では屋台の飾り付けが終わり、太鼓が威勢よく鳴り出します。その太鼓の音につられて、それぞれの家から出立ちをした氏子が集まり、今か今かと今年の祭りの練り出しを待ちます。

やがて拍子木の合図で太鼓打ちが練り出しの太鼓を叩くと、元気な掛け声とともに屋台が練り上げられ今年の祭りが始まります。獅子壇尻がある村は子供たちが引く獅子壇尻を先頭に、それぞれの村を一巡し、地区の人にお披露目をしてから松原八幡神社への宮入り道中です。

<宮入り・屋台練り>

宮入りとは、氏子たちの担いだ屋台が宮の門前に到着し、桜門をくぐって境内に入ることをいいます。東山、木場、松原、八家、妻鹿、宇佐崎、中村、の順に20分前後の間隔をおいて各村屋台の宮入りは続きます。宮入りした屋台は、拝殿前に進んでお祓いを受け、社殿の回りを一周した後それぞれ所定の場所に据えられ、七村すべての宮入りが終わるまで待機します。その間、東山、八家、松原、妻鹿の獅子舞が奉納されます。

七村すべての宮入りが終わると待機していた屋台は宮入りした順に、境内の内外で激しく練り合わせます。豪華絢爛な屋台の荒々しい練り合わせは夕方まで続けられ、それぞれの村に向かって帰途につくのです。しかし、互いに競い合ってなかなか帰ろうとはしません。特に、練り番を務める地区の屋台は、屋台練りできるのが「宵宮」だけとあって、屋台練りにはいっそう力が入ります。

本宮

<露払い>

夜明け前の澄んだ空気が広がる早朝5時、暗がりの中を本宮の神宮渡御の露払い役を務める松原地区の獅子壇尻が、朱塗りの妻取傘を先頭に松原八幡神社へ出発します。哀愁たっぷりの笛と太鼓の調べが町に流れると、それを聞きつけて起き出してきた人たちが、眠い目をこすって壇尻のあとに続きます。神社の楼門をくぐると、真っ暗な境内はシーンと静まりかえり、張りつめた厳粛な空気の中、神官からお祓いを受け、獅子舞を奉納し露払いの清めの儀式を行うのです。

そしてここでようやく宮に灯明がつけられ、いよいよ本宮の幕が開きます。その後、御旅山の練り場(矢倉畑)へ向かい、同様に清めの儀式を行います。

<潮かき>

7年に一度の神輿の練り番に当たっている村の氏子たちが、午前6時ごろ、朝一番の清々しい光に照らされて、もよりの海岸に向かいます。海岸につくと、村名の入った大幟と、一の丸、二の丸、三の丸と書かれた3本の幟を押し立てて、なだれ込むように海にかけ込んで行き、朝日に映える海水を全身に浴びて禊をします。

10月半ばとはいえ、早朝の海の水は肌を刺すように冷たく、禊を終えた氏子たちは村人が用意してくれた焚き火と酒樽の御神酒で冷えた体を温め、清々しい気持ちで宮入りに備えます。

<宮入り・神輿合わせ>

本宮の宮入りは宵宮と同じく、東山、木場、松原、八家、妻鹿、宇佐崎、中村の順番に宮入りしていきますが、その年の練り番の村は屋台を出さずに最後に宮入りを行います。

六村の宮入りが終わり、それぞれの位置に屋台が据えられると、練り番の地区の宮入りとなります。その村の大幟と一の丸、二の丸、三の丸と書かれた3本の神輿幟をはためかせて楼門に到着すると、一団となって勇壮に鳥居と拝殿までの間を三往復します。その昔、鳥居の前まで海がせまっていたことで、二度三度と海で身を清めて神に仕えた名残りといわれています。

そして、拝殿の中に安置され、すでに神が乗り移られた三体の神輿を担ぎ出し、まず拝殿前で、次いで楼門前の広場で神輿の激しいぶつけ合いを行います。神輿のぶつかり合いにルールや組み合わせなどはなく、体勢が整いさえすれば、相手かまわずぶつかっていきます。時には三基の神輿を同時にぶつけ合ったり、その衝撃で擬宝珠(ぎぼし)が飛び、屋根がつぶれ、胴体の板までがちぎれ飛ぶような荒行もあり、これが「けんか祭り」の語源でもあります。

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