灘のけんか祭りとは?

灘のけんか祭りとは、姫路市白浜町の松原八幡神社で行われる、秋季例大祭の総称で、「灘祭り」「妻鹿のけんか祭り」とも呼ばれています。一の丸、二の丸、三の丸の、神が乗り移った3基の神輿をぶつけ合う神事によって、戦前から播磨を代表する祭りとして知られていました。
戦後はこの神輿行事のほか、激しく屋台が練り競う勇壮な屋台練りが人気を呼び、全国の数ある「けんか祭り」のなかでも最大級の祭りといわれ、国内はもとより海外にまでその名を知られるようになりました。
- ●祭礼日
- 宵宮/10月14日
- 本宮/10月15日
- ●開催場所
- 松原八幡神社/〒672-8023 姫路市白浜町甲396
山陽電鉄白浜の宮駅より南へ徒歩約3分 - 御旅所/松原八幡神社より西へ15分
※いずれも駐車場はございません。公共の交通機関をご利用ください。
【平成21年度スケジュール】
祭礼地域
「灘のけんか祭り」の祭礼地域は、姫路市内の南東部海岸地帯のうち、現在の行政地名でいえば、東山(旧東山村)・八家(旧八家村)・木場(旧木場村)・白浜町(旧宇佐崎村・中村・松原)・飾磨区妻鹿(旧妻鹿)を合わせた地域で、一般に灘地域とか、灘地区と呼ばれています。
ここはかつて、松原八幡神社が石清水八幡宮の別宮として全盛を誇った頃の支配領域です。近世幕府時代は、播磨国飾東郡(のちに飾磨郡)に属する姫路藩領の村として明治初年に至りましたが、この頃の村の名が、東山、八家、木場、宇佐崎、中村、松原、妻鹿で、地元ではこれらの村を総称して「灘7村」とよびました。「灘のけんか祭り」では、今もこの当時の村を単位として祭礼行事を行っています。
歴史
松原八幡神社の例祭の歴史は古く、例祭の原点ともいわれている「放生会」は11世紀頃には始まっていたのではないかと思われます。「放生会」とは、宇佐八幡宮や石清水八幡宮の勅祭でも知られているように、捕らえられている生き物を解き放って自由にしてやる儀式です。生類保護、殺生禁断の仏教思想と結びついて、旧暦の8月15日に全国各地の八幡神社で盛んに行われるようになりました。松原神社の「放生会」は、石清水八幡宮より派生して行われたものと推測できます。
14世紀に入ると、8月15日に執行していた松原神社の「放生会」は祭礼日を旧暦の9月15日に改めています。この頃から「放生会」は近代江戸時代とほぼ同様の祭りの形式で行われるようになったと思われます。ただし、神事渡御の行列に氏子たちの自主的な出し物が随行する事が認められたのはそれより100年後、15世紀の中頃のことだといわれています。
現在のような祭礼儀式で「灘のけんか祭り」が行われるようになったのは、明治維新の神仏分離によるものと考えられ、それまで松原神社と一体の関係にあった八正寺が神社から完全に切り離された明治4〜5年頃のことだと思われます。この分離によって、「灘のけんかまつり」の祭礼執行権が八正寺の社僧から氏子たちの手に移り、これを機に氏子主体の現行祭礼様式に一変したことはまちがいないでしょう。
祭りの準備
「灘のけんか祭り」は、祭りが終わるとすぐに次の年の準備が始まる、などといわれていますが、それほどこのけんか祭りには長い準備期間が必要であるという意味です。大多数の氏子たちは、この祭りを楽しみに1年の仕事に精を出し、地元を離れている人は"この日だけは"と全国から故郷を目指して帰ってくるのです。
祭礼地区では10月は祭りの月とされ、この祭月に入ると、7年に一度回ってくる神輿練りの担当地区(練り番)の人によって、修理された神輿が松原八幡神社に飾られます。神社と各村の屋台蔵の前や出入り口に祭礼用の提灯が吊るされ、村としても各家庭においてもさまざまな準備に追われていきます。
各地区の屋台蔵前や公民館などで太鼓や獅子舞の練習が行われ、10日前後になると屋台練りの練習で、実際に屋台を担ぎ上げている姿も見ることができます。














