秀吉に献上された姥が石

羽柴秀吉が姫山に三層の天守を築いていたときのこと。城の石垣の石がなかなか集まらず、苦労しているという話が広まっていました。城下で焼き餅を売っていた貧しい老婆がそれを聞き、「せめてこれでもお役に立てば」と古くなった石臼(うす)を差し出しました。これを知った秀吉は老婆の志に大変喜び、石臼を現在の乾小天守北側の石垣に使いました。この話はたちまち評判となり、人々が競って石を寄進したため、工事が順調に進んだといわれています。

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播州皿屋敷(お菊井戸)

城内の上山里丸と呼ばれる広場にある「お菊井戸」が、有名な「播州皿屋敷」に出てくる井戸だといわれています。永正年間のこと、城主・小寺則職の執権・青山鉄山が城の乗っ取りを計画していました。これに気づいた忠臣の衣笠元信は、愛妾のお菊を青山家に女中として送り込み、陰謀をさぐらせました。しかし、努力のかいもなく、青山鉄山の勢力の方が強く、則職は元信に守られて逃げ出すのが精一杯でした。それでもお菊は青山家に残り、家島に逃れた元信に情報を送っていましたが、ついに町坪弾四郎に気づかれてしまい、これを盾に結婚を迫られます。しかし、お菊はどうしても首を縦に振りません。腹を立てた弾四郎は家宝の皿10枚のうち1枚を隠し、お菊の不始末として責め殺して井戸に投げ込みました。それからというもの毎夜、「1枚、2枚…」と皿を数えるお菊の悲しげな声が井戸から聞こえるようになったといいます。その後、元信ら忠臣によって鉄山一味は滅ぼされ、お菊は「於菊大明神」として十二所神社の境内にあるお菊神社に祭られています。

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大工の源兵衛
池田輝政による姫路城築城の時、城普請にあたった大工の棟梁・桜井源兵衛は、輝政に命じられ、9年間、寝る間も惜しんで仕事に打ち込み、やっと完成させることができました。しかし、彼には、丹精込めて造り上げた天守閣が巽(東南)の方向に少し傾いているように思えてなりません。そこで妻を伴って天守に登ると、「お城は立派ですが、惜しいことに少し巽(東南)の方角に傾いて見えるのですが…」と指摘されてしまいます。「女の目に分かるほどとすれば、自分が計った寸法が狂っていたに違いない」と愕然とした源兵衛は、まもなくノミをくわえて飛び下りたのです。実際に城が東南に傾いていたのは解体修理で確かめられています。本当の理由は、東と西の石垣が沈んだためでした。

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千姫物語
元和3年(1617年)、本多家が国替えと共に姫路城主としてやって来ました。同時に、本多忠政の嫡男・忠刻とその妻、千姫も姫路入りしたのです。千姫は徳川家康の孫として1597年に生まれました。祖母のお市、母のお江ともに戦国武将を騒がせた美女で、千姫もその美しさで知られましたが、徳川家と豊臣家の政略結婚の犠牲として、わずか7歳で秀頼にお嫁入りしました。その後、大坂夏の陣で夫・秀頼は自害して果て、豊臣家は滅亡し、千姫は燃えさかる炎の中から助け出されました。江戸城へ帰る途中、千姫は忠刻と出会い、千姫を哀れに思う家康の計らいで忠刻との結婚が決まったのです。千姫の持参した10万石の化粧料で、忠政は、忠刻と千姫のために、居館となる武蔵野御殿を築き、西の丸に千姫の自由になる建物を設け、千姫と忠刻がくつろぐための化粧櫓が造られました。そして庭には中書院と呼ばれる御殿と人工の山、池が掘られ、色とりどりの花が植えられました。千姫は毎朝、西の丸から男山に祀った天満宮を拝み、化粧櫓で休みました。そして一男一女をもうけますが、幸せは長くは続かず、長男が3歳で亡くなり、続いて忠刻も 31歳の若さで病に倒れてしまいます。江戸に帰った千姫は、夫や息子の菩提を弔って静かに暮らし、70年の生涯を閉じました。

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お夏・清十郎物語

清十郎は室津の造り酒屋の息子で、何不自由もなく育った美青年。訳あって、 19歳の時、姫路本町の米問屋但馬屋に奉公に出されますが、いつしかそこの美しい娘・お夏と恋仲になってしまいます。しかし、二人の恋は許されず、思い余って大坂へ駆け落ちを計ります。しかし二人は捕えられ、清十郎には盗みのぬれぎぬまでかけられて、25歳の若さで処刑されてしまいます。お夏は悲しみのあまり発狂し、清十郎の姿を求めて町をさまよい歩くのでした。この物語は、井原西鶴の「好色五人女」の第一話「姿姫路清十郎物語」に、また近松門左衛門の浄瑠璃「お夏清十郎五十年忌歌念仏」、また明治時代には坪内逍遙の舞踏劇「お夏狂乱」などで全国に広く知られるようになりました。悲劇の2人の霊をなぐさめる比翼塚が野里の慶雲寺に残されており、毎年8月9日には「お夏清十郎まつり」が行われています。

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妖怪伝説 その1 輝政に取り付いた妖怪
姫路城を築城した池田輝政。立派な城の竣工直後から、輝政は様々な「妖怪」に悩まされていたのです。悪鬼や山伏、一丈を超える大入道が、夜な夜な輝政の枕元に姿を見せ、奥女中の元にも現れたり、誰もいないはずの天守に灯りが点ったり、時には大勢の泣きわめく声が聞こえてくるのです。さらに慶長14年(1609年)、城内から輝政に宛てた数十枚もの手紙が発見されたのです。それによると「輝政と夫人に天狗がとりついて呪いをかけようとしている。この呪いを解くには、城の鬼門に八天塔を建てて大八天神をまつれ」とありましたが、話が荒唐無稽すぎたため、無視されていました。しかしいつまでたっても妖怪騒ぎはおさまりません。姫路城建設のために移された刑部神社のたたりだともいわれるようになったのです。輝政は刑部神社を城内の「とノ三門」にまつりましたが、ついに重い病気なってしまいます。家臣は円満寺の明覚上人を招いて呪文を解く護摩祈祷を行い、手紙の通りに八天塔を刑部神社の横に建てると、輝政の病状は回復し、妖怪騒ぎもおさまったといわれます。
妖怪伝説 その2 宮本武蔵の妖怪退治
木下家定が城主であった時代のこと、姫路に立ち寄った宮本武蔵は、名前を隠して足軽奉公をしていました。その頃、城に妖怪が出るという噂が広まっていましたが、武蔵が平気で夜の出番を勤めていたことが家老の耳に入り、名高い武芸者であることが知られました。
木下家の客分にとりたてられた武蔵に、妖怪退治の命が下りました。武蔵がある夜、灯ひとつを持って天守閣に登り、3階の階段にさしかかった時、すさまじい炎が吹き降り、地震のような音と振動が押し寄せました。武蔵が腰の太刀に手をかけると、辺りはまた元の静けさに戻りました。4階でもまた同じことがありましたが、構わず天守を登り、明け方まで番をしていたところ、美しい姫が現れ「われこそは当城の守護神、刑部明神なり。その方がこよい参りしため、妖怪は恐れて退散したり。よって褒美にこの宝剣を取らす。」といって姿を消しました。武蔵の前には白木の箱に入った郷義弘の名刀が残されていたということです。
妖怪伝説 その3 泉鏡花の天守物語
作家の泉鏡花は、姫路城にまつわる妖怪伝説をもとに「天守物語」を記しています。それは。 姫路城の天守閣に百年もの間、人が足を踏み入れたことのない世界がありました。金色の目と白銀の牙を持つ見事な獅子頭と、その精霊を受けて生きる魔性の者たちの世界です。その中に天守夫人・富姫がおり、その日は岩代国から亀姫が遊びに来るとのことで、準備しておりました。やがて亀姫はお土産に亀の城城主の生首を持ってやってきました。富姫はお返しに、鷹狩りの一行から白い羽の鷹を取り上げて、亀姫に与えました。
その夜、白鷹を逃した罪で切腹を命じられた姫川図書之助という若者が天守に上ってきました。いつもならこの世界へ足を踏み入れた人間を生かして帰さないところですが、富姫は男の勇気に心をうたれ、そっと帰しました。ところが図書之助は途中で妖怪に灯りを消され「階段を踏み外して生き恥をさらすより、富姫に殺された方がましだ」と戻ってきたのです。その言葉に富姫はますます心ひかれ、「私と出会った証拠に」と胄を持たせました。しかし今度はその胄を盗んだ疑いがかけられ、図書之助はまたもや天守に上ってきたのです。二人は獅子の中に身を隠し、獅子は二人を守るため大暴れしますが、目を刺され、図書之助も富姫も、精霊たちも皆、目が見えなくなってしまいます。富姫はとっさにお土産にもらった生首を投げ付け、ひとときの間を得ます。もはやこれまで、と観念しかけたその時、獅子頭をうった工人が現れ、ノミで獅子の目をあけてくれました。喜んで抱き合う二人の様子を見た工人は「世の中が戦でも、蝶は飛び、花は咲く。ここは獅子の治める世界なのだ」と笑ったということです。

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