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姫路城の達人

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日本一の名城といわれる姫路城。
世界文化遺産に登録された理由としては、姫路城の構造的にある次の3点が大きな特徴となっています。

巧妙な螺旋式縄張

お城の要塞としての機能性は、縄張り(設計、構成、仕組み)の出来で決まるといわれます。現在の姫路城は、内濠にかかる橋を渡った内側になっていますが、これは内曲輪です。本来の姫路城の縄張りは、本丸のある姫山のふもとを起点に、左回りの大きな螺旋を描いて内濠、中濠、外濠の線が3重になっており、それぞれ城郭のそびえる内曲輪、武家屋敷の並ぶ中曲輪、組屋敷や町屋などの城下町が並ぶ外曲輪に分かれた複雑巧妙なものでした。
濠の総延長は11.5km、外濠で囲まれた城下町の面積は187haもあったのです。これは江戸城と姫路城にしか類例のない形式です。

美しい連立式天守閣

5層7階の華麗な大天守と東、西、乾(北西)の3つの小天守が渡櫓(わたりやぐら)で連立式に組み合わされた壮大な天守閣を中心に、幾重にも重なる千鳥破風(ちどりはふ)や唐破風(からはふ)の屋根が、白漆喰総塗籠造(しろしっくいそうぬりごめつくり)の城壁と相まって、鮮やかな構成美を創りだしています。

昔を伝える「不戦・不焼の城」

姫路城はその400年の歴史の中で、一度も戦にまみえることなく、近代の戦災に遭うこともなかった、たぐいまれな城です。そのため、天守や櫓、門などをはじめとする内曲輪の城郭建築がほぼ建築当初のままの完全な状態で残されており、他に類例のない遺構も多く、極めて貴重な文化遺産となっています。

大天守の高さ 姫山(標高45.6m)、石垣が14.85m、建物が31.5mで合計海抜92m
心柱の大きさ 東西に2本、高さ24.6m、根元直径95cm、末口42cm
面積 内曲輪(うちくるわ)以内の面積は23ha(230,000㎡)。また外曲輪(そとくるわ)以内の面積は233ha(2,330,000㎡)。甲子園球場のグラウンド部分(14,700㎡)と比較すると約159倍に、スタンド部分も含めた球場全体(39,600㎡)と比較すると約59倍になります。

大天守(だいてんしゅ)

天守台の東南隅に位置し、外観は5層ですが、内部は地下1階・地上6階になっており、最上階の大棟両端には阿吽(あうん)一対の大鯱瓦(しゃちがわら)が飾られています。ちなみに鯱は頭が虎で背中にトゲのある想像上の獰猛な海魚で、火を防ぐお守りとして棟飾りに使われました。天守はもともと遠くを見渡すための「望楼」が発達したもので、姫路城の天守の高さも約30m(海抜約90m)あります。この壮大な天守を支えるのは、地階から6階の床下までを直径2m近い東西2本の心柱で、当時としては進んだ工法でした。西の心柱は昭和の大修理で新材に、東の心柱は地下部分だけ取り替えられましたが、その他は築城当時のまま残されています。また、姫路城は大天守と3つの小天守が渡櫓で連結された連立式天守と呼ばれるもので、大きな特徴となっています。姫路城の大天守は外観も千鳥破風(ちどりはふ)・大千鳥破風・唐破風(からはふ)が組み合わされ、調和のとれた非常に美しい仕上がりになっています。

乾小天守(いぬいこてんしゅ)

「東」「西」「北西」にある3小天守の1つで、天守台の北西隅(乾の方角)に位置するため、乾小天守と呼ばれます。3つの小天守の中では一番大きく、外観は3層で、内部は地下1階・地上4階の重厚な造りになっています。石落とし、武者格子窓などの戦闘構造もさることながら、大入母屋、唐破風造り、火灯窓、天守閣最上階と同じ仕様の明り障子が最上階にはめ込まれていることなど、準天守扱いの造りになっています。

西小天守(にしこてんしゅ)

大天守入り口に達した敵を迎え撃つ、最後のポイントとなる場所。東天守と対になっており、外観・内部とも東小天守と同じ造りで、石落とし、鉄格子窓も備わっています。

東小天守(ひがしこてんしゅ)

大天守の北側にあって、外観3重、内部は地階をあわせて4階となっている。東西22尺9寸(6.9m)、南北16尺6寸(5m)、三つの小天守のなかで最も小さく、大天守とは「いの渡櫓」によって連結している。

内曲輪(うちくるわ)

姫路城は城主の住む内曲輪、侍屋敷が配された中曲輪、寺院や町人、足軽などの住む外曲輪の3つの曲輪から成り立っています。曲輪とは石垣や土塁と濠で囲まれた部分で、内曲輪は本丸を始め、二の丸、三の丸などで構成されており、この配置の仕方によって、名前が付けられています。姫路城は、外曲輪までの縄張りを含めて、三の丸から渦巻き状に回って二の丸、本丸に着く「左渦巻き渦郭式」と呼ばれます。また、曲輪には他に腰曲輪、帯曲輪、水曲輪など建物の配置の上で特定の場所を示す名前にも使われます。

二の丸(にのまる)

ここには菱の門をはじめ多くの門や櫓が配置され、相手が侵入しにくいように造られています。また、侵入してきた相手を狭い通路や、小さく区画された部分に追い込み、味方が戦いやすいようになっています。

西の丸(にしのまる)

徳川の安泰が確かなものとなった頃、本多忠政が嫡男・忠刻と千姫がのどかに過ごすために築いたのが西の丸です。しかし、姫路城の唯一ともいえる地形上のウィークポイントをカバーするため、頑丈な塗籠めの窓、石落としのある隅櫓、廊下を区切る木の大扉と過剰なまでに無骨な造りになっています。また、南門跡近くには出陣する武者を集め、隊を編成した武者だまりがあります。しかし天守閣の西面が際立って見える庭園は、のどかで明るい広場になっています。

西の丸長局(百間廊下)(にしのまる ひゃっけんろうか)

西の丸の中書院に当たる場所で、御殿を囲むように造られた300mもの廊下に並ぶ部屋には、千姫に仕えた侍女たちが住みました。千姫は毎朝この廊下から男山を拝んでいたと伝えられています。

備前丸(びぜんまる)

本丸の一郭で、城主池田輝政が住んでいた所。城主・輝政が客と会見する対面所や夫人・督姫の住まう御台所などがありましたが、明治15年の火災で焼失してしまいました。備前丸の名前は、輝政と督姫の間に生まれた忠継が備前国を与えられましたが、幼いため両親とここに住んでいたためにそう呼ばれたようです。往時の備前丸には二層櫓が四棟、折廻櫓や長局もあり、本丸の南半分を占めていました。

腹切丸(帯郭櫓)(はらぎりまる たいかくやぐら)

腹切丸は俗称で、正式には帯郭櫓のある曲輪のことです。本来、天守のある場所で切腹させるようなことはありません。腹切丸の狭間の射撃に活用されるように設けられた中央正面の高い壇が役人が座する場所に見え、前には井戸もあり陰気な雰囲気をたたえているところから、誰知らず腹切丸と呼ぶようになったといわれます。

三国堀(さんごくぼり)

菱の門内にある空壕、二の丸の本道と間道の要所をおさえる重要な位置にあります。

油壁(あぶらかべ)

姫路城の壁はほとんどが白漆喰で塗り込められていますが、ほの門の内側にある油壁は、粘土に豆砂利を混ぜ、米のとぎ汁で固めたものといわれ、一説には秀吉築城の名残とも伝えられています。

姥が石(うばがいし)

乾小天守の北側の石垣にある石。羽柴秀吉の築城のおり、老婆が石臼を寄進し、この噂が広まって多くの石が集まり、城の石垣が完成したと伝えられる伝説『姥が石』の石といわれています。

扇の勾配(おうぎのこうばい)

上にいくほど反り上がるような美しいカーブを描いた石垣になっており、開いた扇の曲線に似ていることから、この名が付きました。下は緩やかですが上にいくほど急勾配になっている、敵に容易によじ登らせないための工夫といわれています。

お菊井戸(おきくいど)

播州皿屋敷のヒロインお菊が責め殺されて投げ込まれたといわれる井戸で、もとは釣瓶取(つるべとり)井戸と呼ばれていました。

上山里(うえやまさと)

塀と渡櫓で囲まれた広場で下の山里と並んで秀吉時代に整備された城内ガーデン。ここにお菊井戸があります。

搦手口(からめてぐち)

表の桜門に対して裏の喜斉門を指します。喜斉門からは、姫山の急な地形を利用して、紆余曲折の道を葛折(つづらおり)にし、その途中に門を造るなどし、守りやすくしてあります。

化粧櫓(けしょうやぐら)

内部は畳を敷いた御殿のような造りで、西の丸長局より男山を拝んだ千姫が、この櫓を休息所としたので、この櫓を化粧の間、または化粧櫓と呼んでいました。

塩櫓(しおやぐら)

天守閣の北側に位置する多門長屋の建物。石垣の曲線が緩やかなカーブを描き、他の城郭にはない独特の造りで、屋根を支える垂木の落とす影が白壁に映えて美しい。その名の通り、塩や米を蓄え、戦時の籠城に備えたといわれます。

井郭櫓(いかくやぐら)

井戸のある櫓。姫路城の井郭櫓は、備前丸東側にあった上台所への貴重な水を提供していました。

帯の櫓(おびのやぐら)

この櫓の石垣は城内で一番高く、その高さは垂直方向に約23mあり、その石垣の上に、物見櫓と数寄屋風建物を続けて一つにまとめられて造られています。櫓の内部には、湯気抜きの簀子(すのこ)などがあるので、茶の席に使われたのではないかといわれています。

太鼓櫓(たいこやぐら)

時刻を知らせる太鼓が置かれている太鼓櫓。

水の三門(みずのさんもん)

北の井戸から水を運ぶルートに名付けられた水の門。水を流し込めば、ミニダムのようになるという説もあります。

水の五門(みずのごもん)

天守閣を守る上で一番の要所となる門で、鉄板張りの頑丈な造りになっています。それでも鉄格子窓が対照的にはめ込まれるなど、装飾性も取り入れられています。

備前門(びぜんもん)

屋敷門なみの簡易な門。

菱の門(ひしのもん)

三の丸から二の丸に至る門で、門全体に安土桃山時代の様式が残されている、城内で最も大きな門です。両柱の上の冠木に木彫りの菱の紋のあることから、この名前が付いています。禅宗寺院などに使われる華灯窓が城郭に使われるのは珍しく、美しさを添えています。桁行10間、梁間4間。

いの門(いのもん)

2本の本柱の上に横木を渡し、屋根をつけ、各本柱の後方部分に本屋根と直角になった一対の切妻小屋根を持つ高麗門で、城郭建築に多用される典型的な造りの門です。

ろの門(ろのもん)

いの門と同じく高麗門で、内側には石垣と土塁によって枡形が設けられ、武者溜が造られています。

はの門(はのもん)

坂の上にあるはの門は、向こうに天守閣がくっきりと見え、敵に天守閣がもうすぐそこだと錯覚するように造られています。門扉の上方床面には石落としがあり、櫓の真ん中にある印象的な武者格子窓は、菱の門の内側を見通す警備の役割を果たしています。天守への侵入を防ぐ重要な門で、菱の門と連動する第二関門といわれます。

にの門(にのもん)

天井がかなり低くなっており、ここで敵を通りにくくしておいて、上から板をはずして槍で攻撃することができるようになっています。また、にの門の西面の唐破風の上には、秀吉に姫路城を献上したことで知られ、キリシタン宗に帰依していた黒田官兵衛義孝ゆかりの十字紋を焼きつけた鬼板瓦も見られます。

ほの門(ほのもん)

姫路城の中枢、本丸の入り口にある門。頭を打ち付ける門の低さは、万一の場合に埋めやすく設計されています。倒して「ほの門」をふさぐため、そばに油壁が置かれたとも伝えられます。また、鉄砲による攻撃に耐え得るため、門の扉には鉄板が張り巡らされています。

への門(へのもん)

東西に強固な土塀を伴った門。

との一門(とのいちもん)

姫路城内でただ一つ、漆喰で塗り固められていない板張りの門で、秀吉時代に置塩城(今の夢前町にあった城)から移築したのではないかと伝えられます。幅6.7m、奥行3.5m。

りの門(りのもん)

秀吉の妻・北政所(おね)の兄で、一時、姫路城主となった木下家定によって建てられたと伝えられます。

ぬの門(ぬのもん)

門の両側に石垣を築き、その上に櫓を乗せた城独特の櫓門で、この櫓には床板を外して石を落としたり、槍で突いたりできる仕掛けがあり、城門の種類の中でも大きく、頑丈に造られています。「菱の門」や「はの門」もこの櫓門ですが、「ぬの門」は、この櫓が二重になっており、一層左右の連雙鉄格子窓と真ん中の出格子窓が調和していて美しい。幅 6.4m、奥行3.1m。

るの門(るのもん)

門の両側に石垣を築き、その上に櫓を乗せた城独特の櫓門で、この櫓には床板を外して石を落としたり、槍で突いたりできる仕掛けがあり、城門の種類の中でも大きく、頑丈に造られています。「菱の門」や「はの門」もこの櫓門ですが、「ぬの門」は、この櫓が二重になっており、一層左右の連雙鉄格子窓と真ん中の出格子窓が調和していて美しい。幅 6.4m、奥行3.1m。

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